03.24 恐怖のウルトラ怪獣背番号制


 非常に小さいものなので、何だかよくわかんないかもしれませんが、『ウルトラマンマックス』に登場したメタシサスという怪獣です。100円ガチャポンの「ウルトラヒーローVS怪獣軍団コレクション」のひとつで、ウルトラマンマックスと、ナツノメリュウとケサムといっしょに、ひとつのカプセルに入ってるそうです。……って、聞き書きなのは、自分でガチャポンしたんじゃなくて、一緒に仕事をしているシナリオライターの方にいただいたからなんですね。
 メタシサスは今までのウルトラ怪獣にいない珍しいフォルムで、マックスに登場した怪獣の中では一番のお気に入りです。メタシサスって語感もいいよね。ちょっとアノシラスと似てるけどさ。でっかいハサミがついてるからシーザースでシサスなのかしらん。

 で、これまた僕じゃなくて、その脚本家さん、『ガイキング』のシリーズ構成のSさん(実名報道ぢゃん(^^;)が気が付いたんですが、このシリーズ、足の裏に名前と版権表示の他に、なんか3桁の番号が刻印されてるんですよ。「これ、何の番号なんだろう」と思って、同じシリーズのウルトラQカプセルに入ってるゴメスの足の裏をふと見ると「001」と入っているではありませんか!!! つまりですねえ、円谷プロさんかバンダイさんか、いずれの意思かはわかりませんが、どうやらすべてのウルトラ怪獣に通し番号を付けようという恐ろしい計画が着々と進行中らしいのです!

 ちなみにこのメタシサスの足の裏には「946」と刻まれているので、ゴメスから数えて946番目の怪獣らしいです(^^;。
 この計画のどこが恐ろしいか、ウルトラファンの方には何となくわかってもらえると思うのですが、ウルトラの長い歴史の中には、どうカウントするべきか悩むやつが結構いるんですよ。パッと思いつくだけでも、画面に登場しないキル星人(恐竜戦車を操っていた宇宙人)とか、ミミー星人(アイアンロックスを以下同文)とか、画面には登場するけどディテールが不明なペダン星人(キングジョーを以下同文)とか、見た目は3人分いるんだけど、実は一個体らしいダダA.B.Cとか、どう説明していいかよくわからないシャドーマンとか、普通に人間っぽいルパーツ星人ゼミとか、白鳥座61番星人エリカとか。あと、自分の作品でいうと、ヌアザ星人イシリスを追ってきた宇宙人の亡霊に憑依された3人とか……(^^;。 考え出したらキリがありません。「このキャラクターがオミットされているのは許せない!」とかファンの間に議論百出しそうだし。この商品を企画した人のところには、多分円谷プロ公認のリストがあるんだと思うけど、本当にどうなってるのか見てみたくてたまりません。小学館の『ウルトラマンDNA』とかには掲載されているのかしらん? 誰か知ってたら教えて下さい。


03.23 カレクック

 最近、レトルトのカレーがマイブームです。といってもいわゆる日本のトラディショナルなカレーライスではなくて、スパイスの利いた本格派っぽいやつ。ことの発端は、近所のスーパーで「ナイルさんのキーマカレー」を見つけてしまったこと。ナイルさんというのは銀座でインド料理店ナイルレストランを経営するG.M.ナイルさんのこと。ナイルレストランは非常に有名なお店で、僕も銀座の朝日ソノラマに出入りしていた頃はたまに食べにいきました。そういう馴染みもあって、「どれひとつ試してみっぺーや」と食べてみたところ、これが美味いのなんの! レトルトのカレーは嫌いではないけれど、自分で作ってスパイスを調合したりするのが好きなので、今まであまり積極的に食べたいと思っていなかったんだけど、このナイルさんのキーマカレーは、毎日でも食べたくなる美味さです。どこのスーパーにでもあるというものではないので、見掛けたら迷わず買うが吉。僕のお薦めはサフランライスの素を買ってきて、黄色いご飯にして最後にパセリの粉末をかけるスタイル。彩りも鮮やかです。

 以前このサイトで紹介したヤマモリのタイカレーも相変わらずお気に入りです。ただ、あまり売れていないのか、近所のスーパーが置くのをやめてしまったので、スーパーやショッピングセンターの食料品売場に行くたびにカレーのコーナーを覗いて、あれば必ず買うようにしています。まあ普通に考えても決して庶民的な味とは言えないので、仕方ないとは思うけど、日本人は日々の食生活、もっと冒険していいと思うんだけどなぁ。
 上のナイルさんのキーマカレーは、レトルトカレーの専門サイトでも絶賛なんですが、こちらのタイカレーはあまり評判がよくないということを最近知ってちょっとがっかり。いやいや、僕の口には合うんです。タイカレーはもっと生姜(タイではカーという)とニンニクを利かせ、辛くしないとダメ、と寸評されていて、まあ、確かにタイの本場の味とは違うのかも知れないけど、仕方ないぢゃん、三重県桑名市のお醤油やさんが作ってんだから(^^; 
 こちらもスーパーなどで見掛けたら、試しに買ってみて下さい。お口に合うかどうかの保証はしかねますけどね(^^;。
 こっちはネット通販でも買えますよん。画像をClick!


03.21 迎え撃て! 大空魔竜!


超合金魂 大空魔竜
ちゃんと頭部が外れてガイキング(下)に合体するすぐれものです。

 左側の作品リンクに入れているのでお気づきの方も多いと思いますが、テレビ朝日にて放送中の『ガイキング Legend Of Daikumaryu』にシナリオライターとして参加しています。

『ガイキング』といえば、僕らの世代にとってはスーパーロボットアニメの決定版として、そのあまりにもキャッチーなメカニックデザインで印象深い作品ですが、さすがに今の子どもたちにとっては、馴染みが薄いらしい。
 確かに30年前の作品ですから、仕方ないのかも知れないけど、それ以前に今の子どもたちって、ガンダム以外のロボットアニメというものにそもそも触れていないらしい。僕が子どもの頃は、アニメといえばロボットアニメというぐらい、いろんな作品があったものですけど、今は新聞のテレビ欄を見渡しても、ほとんど見あたらない。ロボットが登場しても、ロボットアニメと言えるかどうか難しい作品が多いですね。

 そんなロボットアニメを知らない今の子どもたちを啓蒙すべく(嘘)、『ガイキング』、頑張ってます。なんたって『マジンガーZ』から連なる由緒正しい東映スーパーロボット作品、王道の正統なる継承者ですから。
 シリーズ構成の三条陸さんは、『ダイの大冒険』『冒険王ビィト』などのマンガ原作で知られる方。燃えるエピソードは天下一品! まさにスーパーロボットアニメの魂ここにありというシナリオでシリーズを牽引しています。他にも、隅沢克之さん、長谷川圭一さん、三ッ浦孝さんといった豪華な脚本陣。このガイキング脚本チームについては、東映アニメーションガイキング公式サイトのコラムで三条さんによる詳しい紹介が掲載される予定ですので、そちらもお楽しみに。
 これまでは関東地方でしか見られなかったり、放送のお休みが多くて不遇な部分もありましたが、BS朝日でも放送が始まりましたし、日曜朝6時30分という、テレ朝子ども番組アワーの先陣を切る時間帯へ放送時間が移動したことで、より多くのみなさんに楽しんでいただけると思います。
 というわけで、次週(3月26日)放送の第15話『危険な逃亡者!! 父さんの手がかり!』は私の脚本担当作品です。
 一話完結のエピソードなので、シリーズ途中からの視聴でも充分楽しんでいただけると思います。いや、今後怒濤の展開が待ち受けていることを考えると、今のうちに見始めないと損をする、と申し上げておきましょう(笑)。ぜひご覧下さい。


03.09 ゴジラと大和とローレライとぼくらの民主主義

 


語呂がいいのでタイトル拝借しましたが、今回の内容はアノ本とは関係ありません。

 

『男たちの大和』を見ました。戦艦大和の乗組員たちを魅力的に描きながらも、戦争賛美にせず、戦争の悲しさ、空しさを切実に描いた良作でした。

ご存知のように、大和の最後の出撃は護衛の飛行機もなく、燃料も片道分しか積まない「特攻」であり、目的地の沖縄に着くことさえ出来ず鹿児島沖で撃沈します。このただ沈められに行くだけの出撃に、何の意味があったのか? 長嶋一茂演じる臼淵大尉は「日本は敗れて目覚めなければならない」と兵士たちに説きます。進歩することを忘れ、精神論に凝り固まった日本が再生するには、一度徹底的に打ちのめされなければならない。旧日本の象徴である大和は、沈められなければならないのだ、という説明です。大和の特攻は無意味ではない。生き残った者たちが、死んだ者に恥じない生き方をすることで、大和の戦死者たちは報われるのだ、それがこの映画のメッセージでした。

「敗れて目覚める」──。

この理論を突き詰めた思想の持ち主が別の映画に登場していました。『ローレライ』で堤真一が演じた浅倉大佐です。彼は、腐りきった日本が再生するためには徹底的に破壊されるべきだと考え、超能力少女をソナー代わりに搭載した潜水艦イ507を米軍に引き渡す代わりに東京に原爆を落とさせようとします。東京に原爆が落ち、天皇制を含むすべての旧体制が崩壊して初めて、日本の再生は成る──。

大和と運命をともにした三千人の将兵、その一人一人に人生があり愛する者があり、その悲しみは筆舌に尽くしがたいものがあります。もし日本がもう半年早く降伏していれば、彼らは全員が生き残ることが出来たはずです。もちろん大和だけではありません。空襲、広島と長崎への原爆投下、沖縄……。当時の為政者たちが保身に走らず、もう半年、一年早く降伏していれば、死なずにすんだ人たちがたくさんいるのです。

しかし現実には日本はズタズタになって負けた──。それは動かしがたい過去の事実であり、そうでなければという歴史上のIFに意味はありません。

大和の臼淵大尉の「敗れて目覚める」は、そうとでも考えなければやりきれない無意味な死に対する反抗の言葉であったろうし、戦後の我々がそれを口にするとき、それは死んでいった多くの人々に報いるための、自戒の言葉となります。

それでは現在の我々は、戦死者たちに恥じない生き方をしているのだろうか? その疑問を提示していたのは『ゴジラVSキングギドラ』でした。ゴジラの前身である恐竜によって戦争を生き延びた土屋義男演じる新堂会長は、経済大国となった現在の日本でゴジラと再会します。そこで「俺がお前を生き延びさせたのは、こんな国を作るためだったのか?」というゴジラの声を聞きます──。

かつての戦争の意義を問う『大和』や『ローレライ』の後には、この問いかけがなければならない。振り返って、今の日本はこれでいいのかという問題意識がなければ、それこそ戦争で死んだ人々は報われません。

安保の傘の下でぬくぬくと経済成長し、日本は物質的には豊かな国になりました。しかしその代償として、今現在もアメリカの理不尽な戦争の下請けをさせられ、中東や中央アジアの無辜の人々、そして大勢のアメリカ兵の死に手を貸している。

目覚めるための敗北であったと言いながら、戦前の体制は企業グループという名の財閥や世襲政治家たち、天皇制という形でリセットもされずにしっかりと温存されている──。

こんなことで、大和とともに死んだ多くの人々に顔向けが出来るのか。日本人としての自分の矮小さを感じ、恥ずかしい気持ちにさせられる映画でした。