02.18 Build or die!

 いつかは作ろう、組み立てようと思いながら、ずうっとしまいっぱなしのプラモデルって、ありませんか?(笑) とっておきのキットで、組み立てるときには思い切り手を掛けて傑作に仕上げてやろうと、想いばかりが強くて結局手つかずのまま何年も放置してしまっている、そんなプラモデル。プラモ好きなら必ず一つや二つ……といわず、そんなキットがたくさんあると思います。

 私にとって、このイマイのサンダーバード秘密基地がそうです。いや、そうでした。いやあ、過去形になってよかったよかった。同世代の方なら必ず分かってもらえると思うのですが、私が子供の頃、このキットはプラモデルの王様、キングオブプラモでした。模型屋の棚の一番上に、ドーンと置かれた巨大なパッケージを、指をくわえて見上げた思い出が、ほら、あなたにもあるでしょう? その後、サンダーバードのプラモは模型屋から姿を消し(この辺、詳しく書くと長くなるので割愛しますが、ガンプラブームの直前くらいの話です)もう自分はこのキットを作ることはないのだと、切ない気持になったりもしました。しかし、その後の復刻で再び店頭に並ぶようになり(ここも割愛しますが、私がこのキットを買ったのは最近じゃなくてもう10年近く前です)、大人になった自分には財力も、完璧に仕上げるテクもある(笑)。またいつ消えるか分からないから、とりあえずキープしてはみたものの、その気になればいつでも作れるという考えが災いし、つい押入で眠らせておりました。けれど、私にとってこのキットは、いつかは作らずには死ねないものでした。

 最近仕事が一段落して少し時間に余裕ができたのと、昨年のハリウッド版映画を見てにわかにサンダーバードマニアになった息子たちにせがまれて、ついにこのキットを作る気になりました。しかし、いざ作り始めると凝らずにはいられないのがマニアの性で、組み立て自体はほぼ一日で終わったものの、塗装のために、これまた買ったままずっと使わずにいたタミヤのコンプレッサーを引っぱり出し、緑の表現のために情景スプレーを使い、ここまで仕上げるのにかれこれ2週間。しかし、島の情景がメインのキットですから、造り込もうと思えばまだまだ楽しめそうです。昨今は時代も変わって、同じサンダーバード秘密基地でももっとギミックの多い完成品がオモチャとして売られているけれど、やっぱり自分でこつこつ組み立てる楽しさは格別だし、何より、思い入れが違います。このキットを思い残すことのないところまで造り込んで、ああ、これでやっと安心して死ねる……と思いきや、棚にはまだポインターやらデビルマンレディーのガレキやら、イエローサブマリンやら、ドクターフーのダレックやら……。まだまだ当分死ねそうにありません(笑)。 


 島の右側には本部の建物と1号のプール、3号のサイロ。3号は
手動で発射、1号は5号の回転と連動して、モーター駆動で発射す
るはずなのだけど、設計ミスなのか、組み立て方が悪いのか、うま
く飛びません。発射装置は今後改良する予定。劇中のトレーシーア
イランドは、明灰色に見えるのですが、南国のイメージ優先で明る
いアースカラーで塗装してみました。そういうところで作り手の主
観が反映する自由度の高さも、このキットの素晴らしいところです。


 これぞこのキットの面目躍如! 後方のレーダー型スイッチを押
すと、電動でヤシの木が倒れ、発射台が持ち上がり、2号が自動的
に発射されるのだ!! このメカニズムを考案した当時の今井科学の
設計者は本当にスゴイと思います。


 真鍮線で島の上空に浮かぶ5号。写真で見るとずいぶん不細工だ
なぁ……。実物はエナメルのカッパーがきれいで、もっと見栄えが
するのに。この後デカールを貼ったので、現在はもうちょっとカッ
コイイです。


02.09 NEWS

 先行販売の都内でしか買えなかった「ALPHABET/HEAVY」、ついに埼玉でも発売されました。ただ今キャンペーン期間中につき、いろいろオマケが付いています。もとよりこういうのが大好きな上にデザインが素晴らしいので、ハマりまくって集めています。左から、携帯灰皿、灰皿、ミニライト、ライター各種、そしてタバコ本体。一番のお気に入りは中央の小さくて赤いライター。これを求めて渋谷の自販機を片っ端から見て回ったこともありました。

 今回、写真と本文は関係ありません。

 極論なんですが。
 主にテレビでニュースとして扱われているものは、大きく2種類に分けられる、と思っています。簡単に言えば、自分の生活や人生に直接関係があるかないか──。
 例えば、政治や経済の問題は、私自身の生活や生き方に大きな影響を及ぼしますから、これは見て、知っておかなければならないニュースです。
 それ以外の、自分に直接関わりのないニュースは、別に知らなくても良い、知る必要のないものだと考えています。芸能やスポーツの話題はその最たるものだけれど、はじめからエンターテイメントの一種として扱われているから、楽しんで見ます。そういえば、ショーケンの逮捕の瞬間を捕らえた映像は面白かったですね。逮捕直前の「日常」が警察官がやってくることによって一瞬にして「非日常」に切り替わる様子は、自分ではなかなか体験できないものですから(したくもないし(笑))非常に貴重な疑似体験でした。

 問題はそれ以外の、例えばどこそこで事故があって何人死んだとか、殺人事件があって、何人殺されたとか、これはもちろんニュースなのだけれど、別に知らなくても私自身になんの影響も及ぼしません。大きな事件は常識として最低限知っておく必要があるけれど、あまり突っ込んで知りたいとは思いません。人間には誰しもヤジウマ根性というのがあるけれど、それを露わにすることを私は善しとしません。人の不幸を楽しそうに見ている自分の顔を誰かに見られるのは嫌です。もともとそう思っていたのだけれど、さらに意識的に遠ざけるようになったのは、最近のニュースの「演出」が過剰だと感じるから。ニュースなのだから、伝えるべきことを伝えればいいだけなのに、最近のニュースはBGMを流し、ショッキングな効果音を入れ、この事件は悲しいのだぞ、おぞましいのだぞと、視聴者を煽ります。これはすごく浅はかで危険な行為だと思っています。
 杉浦太陽くんの事件のときにちょっと書きましたけど、事件には必ず当事者しか知り得ない事情というものが存在し、それは報道された情報をいくら吟味しても、100%は分からないものだと思っています。だから、ニュースだけを見て、容疑者を過剰に憎んだり、被害者を過剰に哀れんだりということを、私はしないようにしています。いわゆる「良識」だとか「社会常識」というものに自分がなるのはまっぴらご免です。個人的な事件は、当事者やその周辺の人だけで解決すればそれでいい。もっとも、それが例えば社会制度に関わりがある事柄で、私自身がこの国の国民として責任を持たなければならない場合や、プロ野球ファンとして、放っておけないような場合(笑)はもちろん別ですけどね──。

 ──と、ずっと思っていたのですが、脚本書きを職業としてやっているうちに、どうもそれだけではまずいだろうと思うようになりました。一個人として、報道される殺人事件や事故や災害、その当事者になった人々に興味はないけれど、シナリオライターの端くれとしては、事件にインスパイアされて、人間模様のひとつも妄想できなければダメなんじゃないかと。いや、それは考えるまでもなくそうなんですよ。
 だから最近は、何か事件があるとそれを題材にしてなにかドラマを考えるようにしています。これはもうまったくのただの妄想なので、誰かに話したときに、実際に起きた事件と結びつけて考えられると非常に困るんですけどね。
 そんな中で、最近よく考えるのが、人の居場所のことです。
 犯罪歴があったりとか、何かの理由があって、自分の居場所を失ってしまった人間がいたとします。彼は自分の働き場所なり、住処なりの居場所を求めるんだけれど、世間体を気にしたり、実際になにかデメリットがあったりして、それを引き受けてくれる人というのはなかなかいません。最近の世知辛い世の中では、その風潮はなおさら強くて、みんな迷惑がって、彼を遠ざけようとするでしょう。そんなとき、自分自身だって、そんなに豊かではないけれど、一応人並みの暮らしをしている誰かが、持ち前の寛容さから、彼を引き受けたとします。ある程度、まわりの反対を押し切るようなこともあって。しかし、その結果として、やはり大きな損害を受けてしまう。昔の犯罪仲間がやってきて、家族の誰かが傷つけられてしまうとか、彼の失敗によって、大きな損害を被ってしまうとか。周囲の人間は、それ見たことかと言うでしょう。しかしそれでも、居場所の無かった彼を受け入れた人の行為は尊かったのだと思えるような、そんな物語が書けないかなぁと考えています。もし、彼を受け入れる人間がいなかったら、彼はもっと大きな過ちを犯していたかも知れない。受け入れることによって、もっと大きな何かを結果として守ったのかも知れない、と──。

……いや、だから、現実に起きた事件とはなんの関係もない妄想ですってば。