12.28 20世紀の重大事件

 みなさん、年賀状ってもう書きました? まわりには面倒くさいから毎年書いてないって人も多いんですが、私の場合、年に一度の腕の見せどころという感じで、要は好きなんですねこういうのが。だから、かなり気合いを入れて作っているんですが、このままだと今年はとんでもなく手抜きな賀状になるか、年が明けてから作ることになってしまいそうです。ああ、もう、やんなっちゃう。

 さて、年も押し迫ってきて、様々なメディアで回顧特集が溢れる季節になりました。今年はやっぱり世紀越えということで、20世紀を振り返ると銘打ったものが多いんですが、どうもその内容が違うんじゃないかと思うことがしばしばです。これは今日買った『週刊文春』の「ホリイのずんずん調査」で堀井憲一郎(ティガに“ホリイ隊員”がいることを妙に気にしていたっけ(笑))が言ってることにまったく同感なんですが、20世紀を振り返るのなら、当然この100年の出来事をおしなべて考えるべきであるにもかかわらず、そこで取り上げられている出来事というのは、せいぜい戦後の50年ぐらいの出来事であって、半分以上がゴッソリと抜け落ちているんですね。出てくる名前といえば、長嶋茂雄、美空ひばり、黒沢明、手塚治虫……。これって昭和が終わったときに出てきたのとまったく同じ顔ぶれじゃありませんか。

 考えてみると、商売として成り立たせるためには大衆の気を惹くものでなくてはならず、自分たちが生まれる前に起きたことには興味が持てないものだから、例えば1940年以前の出来事なんてネタにはならないということなんでしょう。そういう意味で、きちんと今世紀を総括しようとしていたのはNHKの『世紀を越えて』ぐらいかな。真面目にやろうとすると、学問じみてきちゃうのですね。娯楽の域を越えてしまう。
 冷静に考えてみれば、今世紀最大の出来事っていったら、誰がなんと言おうと第2次世界大戦(太平洋戦争)だと思うんですけどね。テーマが大きすぎて、テレビとか新聞、雑誌などのメディアでは扱いきれないんでしょう。かくいう私だって、もちろん戦後の生まれで自分が体験してきた時代だって満足に語れるかどうか解らないわけで、100年という時間の区切りは、普通に生活している人間一人が背負い込むには長すぎるということを実感します。じゃ、やめときゃいいのにな、20世紀がどうたらいうの(笑)。

 笑っちゃうのがフジテレビ『プロ野球ニュース』で延々やっていた「私が選ぶ20世紀ベストナイン」という企画。20世紀ベストナインつったって、19世紀に日本で野球やってた人なんていないわけで、前提からしておかしい。おもに現役のプロ野球選手に聞いてるんだけど、当然ながら戦前の選手の名前を挙げる者はほとんどいない、にもかかわらず、長嶋、王は必ず入っているというところはどうにも面白くない。両選手の現役時代のプレーを見たことのない選手がほとんどなのに。その点、ショートに石井琢郎を選んだ中西太さんはさすがだと思いました。日本のプロ野球は年々そのレベルを上げているというのが私の持論です。それは、日本人の体格の向上、野球技術の発達などが根拠なんですが、例えば球場ひとつとってみても、20年前と今とでは平均的な広さがまったく違う。だから、そのころ50本打った王よりも、去年40本打った松井の方が断然すごいバッターだと思うわけです。だから、10年一日のごとく、プロ野球最高の選手は王、長嶋という意見を連日のように垂れ流すあのコーナーは、どうにも……。

 今日は話があっちこっちしますが、ご勘弁を(^^;)。

 100年なんてスパンで過去を振り返ることの出来ない私が、それでも自分が生きてきた今世紀の1/3の中で、最大の出来事を挙げろといわれたら、迷いますが、まずは推したいのが1970年の日本万国博覧会です。先日、NHK-BSで、万博の記録映画が放送されると知り、受信できない私は、同じ万博好きの方に録画していただいて見ることが出来ました。これがもう、期待以上の素晴らしいものdだったんですよ、奥さん! ビデオの貸し借りも、それをまたキャプチャーしてこういうところに載せてしまうのもいけないこととは知っていながら、今回ばかりはどうしてもやらせてください。これが日本万国博だ!

 開巻からいきなり千里ヶ丘の造成に始まる万博建設の様子が描かれ、画面に映し出される建設中の太陽の塔! あの金色のマスクがクレーンで吊され、塔のてっぺんに取り付けられます。30年目にして初めて見ましたよ、こんな映像。このフィルムがこんなにも自分を興奮させるのは、そこに私が見慣れた60年代〜70年代の特撮・怪獣映画と同じ空気が充満しているからだと気がつきました。あまつさえ、ナレーションが石坂浩二ですから。もうこれは紛れもなく「ウルトラマン」と地続きです。

 思えば、2000年という年代は子どもの頃の私たちにとって「未来」の代名詞でありました。その「未来」に現在の私たちは居て、抱いてきたイメージとのギャップに戸惑っている。こんなハズじゃなかったと、誰もが少なからず落胆している、そんな気分が世の中には充満しています。「でもほら、携帯個人情報端末は実現したよ」と私たちを慰めてくれるのが、例のビデオシーバーが出てくるみかか……じゃないや(笑)NTTのコマーシャルなのですね(ちなみに私はローマ字入力)。
 でも、私たちはかつて一度だけ、手塚治虫や小松崎茂、真鍋博らが描いた未来世界を体験しているんです。それがこの日本万国博でした。私たちは子どもの頃にそれを見て、それを目指してきた……はずでした。
 堀井憲一郎も書いてたけど、私たちが子どもの頃、未来は明るいと信じていた。みんなが上を向いていた。その明るい未来の象徴が、日本万国博であり、それと地続きで私たちを夢中にさせてくれたのが「ウルトラマン」でした。

 明るい未来を信じることが出来た、この体験こそが、20世紀を生きた自分の財産だと思います。思えば、翌71年に作られた『ゴジラ対ヘドラ』はターニングポイントとしてあまりにも象徴的です(世代によっては安保ですでに暗い未来を予感していたのかも知れませんが(^^;))。80年代、90年代と不安ばかりが広がってゆき、その頃には新世紀が訪れたらきっと希望が湧いてくるに違いないと思ったこともあったけれど、今考えると、そんなことで変わるほど世の中は甘くない。これから大人になる子どもたち、生まれてくる子どもたちのために、20世紀を生きた人間として自分に何が出来るのか。自分が夢見たような明るい未来を、もう一度、子どもたちに信じてもらえるような、そんな時代にしなければと思います。「輝ける者たち」のために──。


12.25 May your days be……

 画像作ってるひまがないので、去年のクリスマスカード用の画像を流用(^^;)。手抜きでゴメンナサイ。
 かの救世主がお生まれになってとうとう2000年が経過したというわけですが、聖書に謳われた理想への道はいまだなかばという気がします。もちろん、その間に人類はずいぶんいろんなものを生み出し、進歩した部分もあります。民主主義とか人権とか、1000年前には無かった素晴らしいものをいろいろ発明することが出来たし、私たちはその恩恵にあずかって、豊かな暮らしをしている。それは間違いありません。
 去年、さんざん大騒ぎしたわりに、今年はなんだか静かですが、今この現在こそが1000年に一度の大世紀末のそのまたどん詰まりなのですね。だからなんとなく悲観的になったりするのかも知れないけど、人間が、世界がこれからもっと進歩して豊かになってゆくかといえば、どうしても不安になってしまいます。ある天文学者が、宇宙には知的生命体の住む星がどのくらいありますかと聞かれて、即座に「200万(だったかな?間違ってたらゴメン)」と答えたそうです。「そんなにあるのに、どうして地球にやってくる異星人がいないのか?」と質問された学者は、「文明というのは高度に進歩すると、ある段階で自滅するのだ」と回答したといいます。そりゃあちょっと切な過ぎやしませんか?

 たしかに、食糧問題やら環境問題、さらにエネルギー資源の枯渇など、来世紀に向けて問題は山積みです。たとえばこうして電気を使っていること、ガソリンを使って車を走らせること、私たちが呼吸をすることさえも、まずいとわかっているのにどうすることもできない。これはまさに高度に発達した文明社会に生きている人間ならではのジレンマでしょう。

 答えはもうずいぶん前にわかっているんです。エネルギーを節約すればいい。無駄をなくせばいい。戦争はしなければいい。ルールを作って自然を汚さないようにすればいい。わかっているのに出来ないことが多すぎます。
 国内に目を向けてみると、世界のどの国よりもまず先にこの国が滅んでしまうのではないかと心配になります。先日発表された来年度の予算案では、景気対策優先といいながら国はまた赤字を膨らませようとしています。何度も言っていますが、このまま赤字が膨らめば、近い将来必ず大増税か調整インフレによる国民生活の破綻が待っています。そのころには今現役の政治家たちはほとんど死んでいて、誰も責任をとらないでしょう。頼むから今自分たちの私腹を肥やして、その付けを私たちの子孫に押しつけるのをやめてくれませんか?
 私の知り合いにはなぜか学校の先生がたくさんいるんですが、その人たちが口を揃えて最近の子どもは頭が悪くなったと言います。「最近の若い者は」というセリフは人類が言葉を話すようになって以来の決まり文句だといいますが、精神的なことはともかく学力が落ちているというのは数字に表れている、紛れもない事実だそうです。知識に対する興味が薄れている、想像力がない、向上心がない、抽象的な思考ができず、体系的にまとめることも苦手……。かつて世界に技術力を誇ったこの国の教育はどうなってしまったのでしょう?
 なんかもう、徒然なるがままに書き連ねてしまって、話がバラバラで申し訳ありません。しかし、ひとつ言えることがあるとすれば、この国の、この世界の危機を救うのは、科学とか技術とかではなく人間の心の進歩なのだろうということです。危機を回避するためのどんなに素晴らしい方法があっても、それを使う人間側の条件が整っていなければ、それは宝の持ち腐れです。チャンスは十分に与えられています。けれど、人間はみずからそれを投げだそうとしている。
 人間はみすみす滅びてしまうような愚かな生き物ではない、そう信じて、来世紀は生き延びるためにどうしたらいいのか真剣に考えなければいけない。そう思います。

ああ、クリスマスだというのに景気の悪い話でごめんなさい(^^;)。そうそう、景気付けに「面白い!」と評判の新作ゴジラ映画の話題なんかどうですか?(笑) アツイ評論が集まっているご機嫌なサイトはこちら



12.20 ズズラブ

ズズ

 TOP PAGEからリンク張りっぱなしじゃぷぅたさんにもご迷惑なので、とっとと更新。今日の画像は最近のマイフェイバリットである“ぐ〜チョコランタン”のズズ。“ぐ〜チョコ”というのは、NHKの『おかあさんといっしょ』の中でやってるスーツ劇(NHKの表記は“着ぐるみ人形劇”(笑))で、“にこにこぷん”とかああいうものです。最初はメインキャラクターであるスプーが番組に登場、これがもう、完璧なまでの可愛らしさ、私の好みで言えば、理想的なスーツマスコットでした。そしてスプーが子どもたちに定着した頃、追加登場したキャラクターの中で、ひときわ目を引いたのがこのズズ。何がすごいかって、とにかく演技のテンションがメチャメチャ低い! 声を演じているのは『おジャ魔女どれみ』のどれみ役の千葉千恵巳なんですが、どれみとのあまりの違いに、彼女だと気がつくまでにずいぶん時間がかかりました。最近はズズのお芝居も少し明るくなってきましたが、登場した当初は今にも消え入りそうな声でぶつぶつつぶやくだけの、とんでもないキャラクターでした。しかもこれ、私もず〜っと男の子だと思っていたんですが、実は女の子なんですね(^^;)。ま、NHKのキャラ紹介ページでも、女の子であることを強調してますから、間違えていたのは私だけじゃないんでしょうが……。ズズの魅力は文字では表しにくいので、視聴可能な方はぜひとも『おかあさんといっしょ』をご覧ください。朝と夕方、毎日やってます。まあ、堅気の商売の方にはなかなか見られない時間帯ですが(^^;)。


12.19 冬支度

 ああ、また今年もこの季節がやってきましたね。毎年恒例のクリスマスデコレーションしてみました。しかし、1年なんてほんとにあっというまですなぁ。やんなっちゃう。
 クリスマス気分をお届けしようということで、今日の画像は銀座ミキモトのクリスマスツリー。しかし、今年はやっぱり不景気ということで、銀座あたりの盛り上がりも今ひとつです。例年に比べると飾り付けなんかも地味〜なかんじ。

 この季節といえば、やっぱり新作ゴジラ封切りの話題ですね。いっときモスラにその座を譲っていましたが、もはや12月の恒例行事という感じで、今年も封切り日に子どもを連れて上野東宝に見に行ってきました。

 作品に関しては、某所から原稿を依頼されているということもあり(笑)、ここでは多くを語りませんが、私にとっては『ゴジラ×メガギラスG消滅作戦』はなかなか楽しい作品でした。そりゃまあ、粗を探せばいくらでもありますが、怪獣映画は怪獣映画の文法で語るべき、だと思うわけですね、他でもない私の立場としては(笑)。その点で、なにはともあれ、昆虫怪獣の魅力横溢するメガギラス(とその眷属)や、昭和ゴジラもかくやのケレン味溢れる怪獣バトルを見せてくれたということを最大限評価したいと思うのです。細かい点についてはぷぅたさんのサイトに書いてあることがかなり私の気持ちに近いので、そちらもご覧ください。田中美里は、私としてはキャラクターとしてではなく、女優としての彼女自身の頑張りぶりに心を動かされたことを付け加えておきましょう(^^;)。

 んで、画像は劇場版限定バーニングゴジラ(違うの?)と、G消滅セット(?)に入っている背びれの色違いゴジラ。これ買っちゃったんで、去年のと合わせてうちにはこの型のゴジラソフビが都合4種(笑)。それでも飽きないのは、このゴジラのデザインの良さとソフビ自体の完成度の高さのせいでしょう。

 と、ここまで書いてUPしたんですが、なんとな〜くもの足りないので、書きたいと思っていた元阪神タイガース新庄選手のことでも。
 NYメッツ入りを決めた翌日、プロ野球ニュースでインタビューを受けていたんですが、そこでの新庄選手の扱いにすごく違和感を感じました。とにかく、国内チームの高額の契約を蹴って、最低ランクの年俸で大リーグ入りした新庄を、徹頭徹尾変人扱いというのはどういうことなんでしょう? プロ野球ニュースのみならず、ほとんどのマスコミがそういう論調なのは本当に不可解です。だってさあ、このチャンスを逃したら、大リーグからの誘いなんていつ来るかわからないんだよ。
 もちろん、イチローや野茂に比べたら国内での実績が少ない新庄に対して無謀だという意見もあるでしょう。しかし、新庄がレギュラーポジションを争うメッツの外野手には、去年まで広島東洋カープにいたペレスもいるんですよ、奥さん! 去年の今頃だったらペレスがメジャーでレギュラーを獲るなんて誰が予測したでしょう。ペレスと新庄だったら、新庄の方が評価は上だったはずです。大リーグだってそういうことがあるんですから、無理と決めつけてかかるのは、頭の固い証拠です。だいたい、新庄といい権藤さんといい、日本のマスコミ、というか世間は、やせがまんして格好を付けようとする男に対して冷たくありませんか? 私は好きなんだけどな、そういう男。落合なんかもそういうタイプですよね。努力している姿を人には見せたくないという。そういう、弱みを見せないで結果だけを出そうとするスーパースターを、なんとかして一般と同じレベルまで貶めようとするケチくさい風潮が私は嫌いです。出る釘は打たれるといいますが、そうやって、みんなして低いレベルで妥協して満足しようとする悪しき平等主義がこの国をダメにしていませんか? ……と、ちょっと飛躍しましたが、私としては横浜ベイスターズをも蹴って渡米した新庄を、支持&応援したいと思う所存です。メジャーいってダメだったら、戻ってくりゃいいだけのことじゃないですか。野球選手として最高の夢を目指すことよりも、食べていくには十分すぎる今の年俸がさらに上がることを選ぶのが当たり前という常識がこの国のスポーツマスコミを支配していることが非常に残念です。これって、非常に根本的な問題だと思いますよ、野球にかぎらずね。


12.09 距離と壁

 今日の画像はカイメングリーン。本文の内容とは特に関係ありませんが、後期ダークロボットを代表する傑作デザインと思います。アイキャッチとしてはいいですよね、うん。

 ローズの次は原田真二かよ、ってな感じで、まったく世の中気が抜けません(笑)。色恋沙汰は、まあ本人同士にしかわからないことですから、コメントのしようもないんですが。やっぱり今年はそういう年なのかなぁと改めて思ったりしています。松田聖子の新曲はなかなかかっこよくて、これがヒットしてくれたらちょっと嬉しいんですがね。

 さて、本題。すでに掲示板で話題になっていますが、少年犯罪に関して、またしても特定のアニメ作品(もしくはその原作漫画)のタイトルを挙げて影響をうんぬんするような報道があって、うんざりです。
 こういう報道の仕方を見るにつけいつも感じるのは、相変わらずの差別的感情です。事件の責任をオタク的なものになすりつけて、自分たちには関係ない──そう思いこみたい“良識的”なる一般市民と、それに迎合しようとする報道姿勢。あんな犯罪を犯すのはアニメとか漫画とか特殊なものに影響を受けた特殊な人間であって、自分たちには関係ないのだ……そう考えていれば、安心なのでしょう。しかし、そうやって、自分たちの想像力の欠如から理解できない少年たちの行動に対して、どんどん距離を広げ、高い壁を作っているそのことこそが、少年の心を荒ませている要因だということに、どうして気がつかないのでしょう? 彼らを異常扱いしてどんどん遠ざけることが、どんな意味を持つのか、何故わからないのか?
 少年法を厳しくする前に、大人たちが襟を正さなければいけない。道徳教育を叫ぶ前に、まず自分たちの不道徳さを正さなければいけない。なぜなら少年たちは異星人でも新人類でもない、私たちの息子であり隣人です。それを理解しようとせず、距離や壁を作って自分たちの認識の外へ追いやろうとしている。卑怯者め!

 私から見れば、少年たちよりもマスコミで取り上げられる大人たちの方がよほど異常です。少年たちの不道徳はすべからく大人の映し鏡です。それに気付かない振りをして、すべてを自分たちには無縁のアニメや深作欣二の映画のせいにしようとする悪魔のような大人たちに、一刻も早く鉄槌が下りますように──。


12.06 上野の紅葉

 先週末は子どもを連れて上野の国立科学博物館、略して科博に行って来ました。このところ、映画とか動物園とか、やたら上野公園周辺に行く機会が多くなっています。子どものいる親としては、上野に(比較的)近いところに住んでいるというのは、なかなかの好条件かも知れません。テレビとか書籍とかネットとか、子どもが間接的に知識を得るためのメディアはたくさんありますが、百聞は一見にしかずというように、実物に直接触れる機会こそが大切です。その意味では、上野公園というのはまたとない施設です。
 科博は私自身、子どもの頃、よく親に連れていってもらった、大好きな場所でした。そこに展示してある恐竜の骨格とか、動物の剥製というのももちろん魅力的なのですが、それ以上に、石造りの重厚な建物や内部の薄暗い照明の作り出す怪しげな雰囲気に幼い私は魅了されていた、そんな気がします。意味もなく揺れ続けるフーコーの振り子や、あちこちに見受けられる立入禁止の札のついた小さな扉。その奥では博物学者たちが、どんな怪しげな蒐集品を手にほくそ笑んでいるのだろう……それを想像するのは非常に楽しいことでした。何年ぶりかで訪れた科博は、もちろん自分が大人になったからでしょうが、ずいぶん明朗な施設に様変わりしていました。正面の本館の重厚さは昔のままですが、奥の新館はピカピカで、展示もスタイリッシュでした。なにより、本館の地下にあった生物標本のホルマリンの匂いが漂ってきそうな……というのはいささか大袈裟ですが(^^;)、薄暗い食堂がなくなり、綺麗なスーベニアショップになっていたのはちょっと残念。
 とはいえ、標本とか剥製といった、展示品の持つ生々しい迫力がうちの6歳と2歳の息子の記憶にどう刻まれたか、楽しみです。

 余談。なんか、内閣改造とかあったようですが、あれじゃライダーマン程度にも改造されてないじゃん。省庁の名前も新しくなるようだけど、経済産業省とか、厚生労働省とか、文部科学省とかまるでゲルショッカーの怪人のような名前が並んで見苦しいことこの上ありません。このことだけでも、行政改革というのがいかにダメかもろわかり。ああ、こいつらをぶちのめしてくれるダブルライダーはどこかにいないものでしょうか?


12.03 人は野球としりとりがあれば生きていける……のか?


終わってんじゃん(^^;)

 斉藤守彦さんのTOKYO MOVIE NETWORXにて、先日のコヌラボしりとり大会について非常に素敵なコラムを書いていただきました。
 インターネットを使った遊びとして私自身非常に面白かったですが、実はこのしりとりという、ヴァーチャル空間での遊びの一方で“野球大会”という極めてフィジカルというか、物理的なイヴェントが同時進行していたという事実も非常に面白いことと思います。インターネットの持つ二面性、on lineとoff lineそれぞれの側面で、非常にアクティブに遊べたということは、サイト運営者としてこれ以上ない喜びです(^^)。

 さて、相変わらず更新サボりまくりのコヌラボですが、その理由のひとつとして、so-netが会員に与えているU-pageなるホームページサービスのディスク容量、たったの5MBが、ずいぶん前から一杯だということがあるんです。今は古いデータをデリートしながら更新しているんですが、これが面倒くさい。それに、新規に企画を立ち上げることもままならない。というわけで、どこかに別のディスクスペースを借りようと思うんですが、どこかいいサービスはないでしょうか? 有料でも構わないので広告が入らないところ。20MBくらい、もちろん安ければ安いに越したことはありません。どなたかいいところをご存じの方、教えてくださいm(_ _)m


12.02 ウォッチオアダイ

 最近、腕時計の売れ行きが落ちてるって知ってました?

 そう、携帯電話の普及によって最近の若い子は腕時計を使わなくなっているんだそうです。腕時計が似合わない服装の流行もあるんでしょうが、なにより携帯の時計機能があれば、腕時計なんて必要ないということらしいんですね。腕時計の発明とその普及によって、それまで隆盛を誇った懐中時計が一部のマニアのものとなったように、腕時計も姿を消し、嗜好品としてごく一部の腕時計フェチだけのものになってゆくんでしょうか?

 なんでこんな話をしてるかというと、知り合いのヒキでマガジンハウスのBRUTUSから発売された腕時計カタログの仕事をしたからなんですね。担当編集者の方がなにしろ腕時計マニアで、はめているトゥールビヨン(という時計の種類があることを、この仕事をして初めて知りました)がン百万円! 私なんざ生まれてこの方時計といったらせいぜいが5、6千円の安物しか使ったことがないというノンケなので、内容に関してはちんぷんかんぷんなんですが、日本人はブランドでしか時計を選べない、ロレックスなんか最近のは粗悪品で、定価より高い値段で買ってありがたがっているやつは大馬鹿者だという、この編集さんの主張はなかなか小気味いいものでした。
 そんな私がこの本で何をやったかというと、上の画像のようないんちきCG(笑)。ほかにも、スウォッチとか、角形時計とか、ダイバーズウォッチとか、10数点のCGを作りましたので、CGに興味のある方は店頭で見かけたらパラパラッと見てやってください。時計好きの人なら迷わず買うが吉。そうそう、この時計カタログ、表紙に本物の腕時計が仕込まれているという、大変凝った作りになっています。下の表紙の中央部に見えているのが、内蔵されている腕時計の文字盤部分。ちゃんと動いているんだよ。定価2800円にて発売中。腕時計付きだと思えば良心的なお値段でしょ。

 さて、私がこの網頁を開設するきっかけになり、お手本にもした篠原保さんの“篠原保todie”が、更新と掲示板をやめてしまいました。最終日のテキストを読むと、篠原さんなりの理由があったことがうかがえるのですが、やはり私としては寂しさを感じざるを得ません。netや個人サイトの意義、可能性には、自分としてはまだまだ希望を持っているつもりでいるのだけれど、開設から3年を経て、一度見直して見るということも必要かもしれませんね。まぁ、更新をサボることにちょっと後ろめたさも感じつつ、私としてはいたって呑気に運営している網頁ですし、掲示板ではとてもおもしろいことをやったばかりですから、やめてしまおうとは思いませんが、ちょっとマンネリ気味になっていることも確かなので(^^;)。
 やはり年末になると、人間というのはちょっと内省的になったりするものですね。そういえばもうすぐクリスマス。ついこのあいだ網頁のクリスマスデコレーションをはずしたばかりのような気がするんですが……(^^;)。